一昨日は寝不足で起きがけの具合が悪く、午前休と仮眠をとって職場に向かった。
昨日は健康診断で、体調に問題はないですと答えて採血をした後に倒れた。
おそらくそれぞれに直接の因果関係はないけれど、良くないことが続いている、という感覚上のつながりが現実に対する気の持ちように揺さぶりをかけてくる。
特に貧血によって意識が薄れる直前の制御不能感と血圧が落ち着いてきた頃の虚脱感が及ぼす影響はひどいもので、夜中まで気分と思考がマイナス方向に傾いていた。
その流れでまたサイバーパンクのことを考えていた。
正しくいうとぼんやり思い浮かべていた。
第1話の導入としての完成度の高さ、主人公、ヒロイン、仲間、第4話のコンテの巧さ、無常、いつか来る終わり、裏切り、どうしようもなく突き進んでいく感じ、第10話、あのシーン、あの曲……(最終盤はあまり思い起こしたくない、)そういう個々のイメージも色々と残ってはいるのだけど、もっと大きなくくり、あの世界であのキャラクター達が生きていたという事実、みたいな漠然としつつも自分にとって特別で大切な情動、がずっと渦巻いている。
なるべく言葉にしたくない。この気持ちがいくつかの単語に置き換えられて終わってしまうのなら、まるごとたいせつなものフォルダにしまって、たまに取り出して、しまって、取り出してしまってそのうちJPEG形式で保存を繰り返したみたいにぼやけて何だったか分からなくなるくらいが丁度いいと思う。
でも言葉にならないもやもやを心の中でぐるぐるさせ続けるのはしんどくもあって、実際サイバーパンクを見終わったあたりから何かが不安定になっている気がする。あれもこれももしかしたら因果関係あるのかもしれない。
いいフィクションはいい現実には結びつかない。むしろ現実を蝕めば蝕むほどいいフィクションだといいたい。
ここではないどこかを夢見させながらも、普段生活に支障をきたさないようあえて目を背けている醜い本質に正面から向き合えと迫ってくる、フィクションにはそういう力がある。
全部自分の妄信だけど。
ただこういう態度がフィクションに対して誠実だと言えるのかどうか分からない。少なくともサイバーパンクからはそのつもりで見ればいくらでも教訓が得られるはずで、真っ当に生きるのをさぼる足がかりみたいに使うのは間違ってる気がする。
でもやっぱりフィクションには自分をめちゃくちゃにしてほしいし、サイバーパンクには自分をめちゃくちゃにしてくれてありがとうと思ってしまう。
そのうちこの熱もしかるべき量と場所に収まってすべてが元通りになる。自分もきっとまた日常に戻っていく。夢のない日常